
個人のSNSが代理店となって様々な商品を紹介したり、販売したりしている。今やこの直接販売市場は、巨大化し、2兆円とも3兆円ともいわれているが、実態は明らかでなく、また将来どんな形で変化するのかも分からない。
鍋や文房具、レトルト食品まで、まるで小さなスーパーの軒先のようでもあるし、驚くことに、美容整形からはじまって、医学的に根拠のない薬、スポーツの練習道具まで紹介している者もいる。フォロワー(読み手)の多いインフルエンサー同士が、効果について議論し、メーカーの宣伝担当者に商品を作らせることもある。
スマホの普及は、従来の流通販売による〝売り方〟と複雑に絡み合い、最終的には消費者は購入の選択肢が増えたものの混乱し始めている。高騰化したお米や水など、重量のある商品を自宅に届けてもらうのは、確かに便利だ。おせっかいなことに、飲食店の一番おいしいメニューを勧めたり、一流ホテルの個室から見たりする景色や、地方旅館の枕の硬さのレポートまで。広告代理店的に販売促進の手数料をもらっているツワモノも。
我々は、想像以上にスマホに生活を占拠され、人生を脅かされているような日々を送っている。いわゆるこのEコマース(ネット販売)で暮らすライフスタイルの定着は、何の責任を取る必要もない〝売り手〟が好き勝手に利益を得ることができる。
さらに〝買い手〟はSNSに触れている時間が長いほど、判断力が落ち、自分の価値観が失われて頭がどんどん空洞化していく。
この中身のない〝薄皮饅頭〟のような消費社会は、そこで暮らす人間の信頼関係もどんどん奪っていく。物を買うのも重要なコミュニケーションであり、ただ単純に「金」と「商品」が交換されるというのも切なく、寂しく、虚しい社会関係ではなかろうか。頑固者と言われようが、自分の目で確かめ、商品に納得し、自ら結論を出すこと。20年前は当たり前だったこのルールが、どこか懐かしく聞こえるのは、一見、スマホ一つで楽に生きようとする愚かな人間の習癖なのかもしれない。
レンゲやヒナゲシ、タンポポの咲き乱れた川沿いの道を、小学生たちがランドセルを背負って学校に向かう。歳月を経ても、この風景は私にとってはいつまでも懐かしい。地球という美しい広大な植物園の中を、彼らは生きている。
彼らの手の平の中に、果たしてスマートフォンはいるのであろうか。
「美楽」発行人 東 正任