環境活動家のアル・ゴア元副大統領がプロデュースした『不都合な真実』という映画は、地球の温暖化を小学生の教科書のようにわかりやすくまとめてくれた。
その中で印象的だったのは、現在の人類をカエルに例えて、沸騰したやかんにカエルを入れると、あまりの熱さに驚いて、ジャンプをして飛び出すのだが、水から入っているカエルは温度が上昇しても、その熱さに気がつかない。人というのは、悲しいかな、毎日のちょっとした変化の積み重ねには鈍感で、無関心で、無感情。ところが、その積み重ねを、時間を経て振り返って見ると、予想外の現状と結果になっている場合が多い。
1985年のプラザ合意で、為替協調介入が決まり1ドル360円だった円はその後210円、180円と円高に振れた。2000年近くになると、円レートは100円を切りなんと79円にまでなった。資源の少ない我が国で、円高は経済を大きく向上させる。特に、ガソリンが安くなったことは、経済成長にとって大きな要素で、いわゆる円高経済による利益は、やがて不動産と株式に流れ込んだ。俗っぽくいうとバブル現象である。
世界第2位のGDP大国になった日本だが、当時から予測できた地球温暖化や、少子高齢化社会への対応は後回しとなり、都市の整備や軍事の増強にその利益を回した。
その間50年、自民党の犯したその場限りの政策を続けてきた罪は大きい。さらに問題なのは、派閥組織という温室の中で日本を率いる有能なリーダーが育たなかったことだ。
現在、我が国の政界のトップに君臨しているのは、皆さん全員、バブル時代に30代から40代の若手政治家だった人たちだ。パーティー券がどうのこうの、政治資金がどうのこうのと言うよりは、選挙に必要なお小遣いを手にし、派閥の力で当選さえすれば、政治改革などする必要がないと思い込んでいる幼稚で怠慢な人材ばかりがずらりと並んでいる。そこには、政治家の存在価値や美意識などない。
悪いことに我々国民も、矛盾だらけの選挙制度の中で、政治参加を放棄してしまった。
春の陽気につられて、房総半島の突端にある行きつけの蕎麦屋に立ち寄った。茹で上がるまで、裏庭のまくら木に座り、麦の穂が海の風を青く染めているのを見ていた。生まれたばかりのカエルの声があちらこちらで聞こえている。きっと私たちは、沸騰しつつあるやかんの中で、少しずつ迫る地球の“殺気”を感じ始めているのだろう。
