海に行った帰りに、道の駅に立ち寄ったり、農協が経営するスーパーに足を運んだりすることが、楽しみの一つになっている。
郷土色豊かな食べ物や、タイミングがいいと、地元の生産者が作ったお弁当や漬物が軒先に並んでいる。山菜や果物、見たこともない野菜が目に入ると、都市を中心に発展してきたように思う日本経済も、実はこんな地方の力で支えられているのではないかと思う。
やはり、素朴な包装で、生産者の名前が印刷された手作りの弁当は、おいしい。それは、自然の恵みを味わうために、遠いいにしえから脈々と受け継がれてきた味覚なのであろう。
しかし、この食文化が苦境に喘いでいる。
私たち消費者の嗜好の変化や、不安定な野菜の価格、さらには経営者の高齢化。戦中、破壊された街で、女性や子どもが路頭に迷い、男性の労働者が数百万人命を落としたこの国は、アメリカの手を借りて、戦後の復興を果たした。
車や電気製品や建物などのハードウエアから始まり、音楽やファッションなどのコンテンツに至るまで、マッカーサーイズムといわれる米国化の中で、ほんの少し豊かになった。
「何かを得るためには、何かを失わなければならない」とは言うものの、失ったものを数える余裕もなく、21世紀を迎えた。
しかし、今、我々をリードしてきたアメリカ、いや、アメリカでなく世界の先進国がことごとく曲がり角を迎えている。ウクライナや、イスラエルからの戦地のニュースを、毎日のように報道で目にする。それは、遠い国の出来事ではなく、やがて日本の眼前に現れる日も近いのではないだろうか。
新しい年を迎えようとしているが、気分が優れないのは、行き先の見えなくなってしまった地球という星の軌道の不安定さであり、そこで起きる気候の変化や、戦いや人類の愚かさが理由なのかもしれない。
テレビからは楽天的な報道も繰り返されるが、アメリカのメジャーリーグで活躍する日本人がいたとしても、1億人とも、2億人ともいわれる子どもたちの餓死は防げない。
昨年は、驚くような出来事があった。「米騒動」である。気がつけば、商店の軒先から米が消えた。
「エッグインフレ」も起こった。食をはじめ、日本という国のほとんどが外国に依存している構造を考えると、目の前にある日本というものを、それぞれが自覚する必要が出てきている。
つまり、今はなくなってしまった「愛国元年」とでもいう年が始まればいいのではないかと思う。