ポテトチップスの賞味期限を1週間延ばすことによって、廃棄処分が3割程度少なくなるという。賞味期限はメーカーが勝手に決めた「うまく食べてほしい味の締切」である。消費期限は「食料として食べることが可能な寿命」である。
どこの家庭でも、冷蔵庫の中をのぞくと、大量に買い込んだ卵や肉、野菜、ラップに包んだ昨夜のおかずが溢れんばかり。
我が国の食料自給率はカロリーベースで38%ともいわれるが、そう考えてみると、冷蔵庫の中は7割ほどの輸入在庫でいっぱいということになる。円安で食料の値上げが続いているが、標準家庭においては、10日程度の在庫を持ちながら、まだまだ余裕のある食生活を営んでいるのではないだろうか。
メーカーが決めた賞味期限や、消費期限を気にしなければ、廃棄される食料はもっと少なくなるはずだ。
以前、コンビニエンスストアのL社の顧問をしていたのだが、お客さんを逃さないことが最重要課題。どの店舗の棚も売れ残りを前提とした、つまり仕入れ過多でもいいという営業姿勢である。スーパー、コンビニの廃棄物は、我が国全体の食料廃棄物の半分を上回る。約78億人という地球人口のうち、9人に1人は栄養不足状態にあるとされているが、コンビニの廃棄物で何億人もの人々の命が救えるかもしれない。
こう考えてみると、切なくなる一方だが、人間が奪い合うことで起きる戦争は、石油資源から食料資源の時代に入った。さらには地球温暖化によって、戦争により起こる略奪は、水ひいては、涼しい土地の奪い合いになるのかもしれない。
イスラエルのガザでは、ハマスへの武器流入を警戒しているため厳しく検査し、入境に長い時間がかかる。そのため、多くの食料を運ぶトラックは長蛇の列となり、約110万人が食料不足であり「壊滅的飢餓」に陥る。さらにそのうち14歳未満が45%。ネタニヤフ首相の心の闇から滲み出た残虐性。「子どもたちがやがて大人になったときに、彼らが復讐し、反逆するかもしれない」。とても人間とは思えない発想だ。
戦火のウクライナからの避難民を受け入れている周辺国に、自衛隊機が、毛布やビニールシート、スリーピングマット、食料などを送り届けている。私たちが、廃棄を減らすことで、ほんの少しは食料危機に貢献できるのかもしれない。
はるか海の向こうで暮らす人々の悲劇が、私たちの短くなった「心の消費期限」を求めている。