
浜松町の辺りには、増上寺をはじめ、寺や神社が多い。スマートフォン(以下、スマホ)の電源を切って、天気が良いのであちらこちら散歩していたが、今年の正月から春にかけては鳥が少なかったように思う。カラスもいなければスズメのチュンチュンという鳴き声も聞こえない。週末によく行くゴルフ場では、大きなトビが空に円を描いたり、時にはフェアウエーを鹿が横断したりするのだが、気のせいか今年は見なかった。食物連鎖というわけではないが、鳥の住まない街は木の実もなくなり、多分小さな虫も住まなくなる。大袈裟な話、このところの温暖化の影響で地球全体の食べ物も場所によって偏ったり、減っているのではないかと、ふと思う。
世界の小麦の一大生産地であるウクライナの影響は、人の死と同様に、パンの供給量にも大きく影響するであろう。
スマホから解放されると、毎日見ている景色やよく会っている人の様子に興味が湧くし、敏感になる。延べ時間にすると平均1日2〜3時間ほどスマホの世話になっているという調査もあるが、これを1 カ月にすると、ざっと90時間。年間だと1100時間、1日の24時間で割ると45日。つまり飲まず食わず、睡眠も取らないで2カ月近く、この小道具に支配されている日を送っていることになる。テレビの長時間視聴が社会問題になったこともあるが、受動的なテレビというメディアと比べると、スマホは自分でスイッチを押して操作する能動的なメディアである。つまりスマホ依存症と言わざるを得ない。その結果、人間関係や個人と社会の関係がどんどん希薄な世の中になっていく。インターネットは、かつてなかったほど、無数の商品を生み出した。中でも、SNSという商品は、私たち人間が社会の中で孤立したくないという恐怖感から、〝繋がっている〟という幻想を持たせる究極のメディアといえる。一般論として、商品は、人間の本能や欲を刺激することで成立してきた。しかし、このSNSというサービスの特徴は、インターネットによって、分断された人間関係や、情報に支配された私たちの孤独感や疎外感を満たしてくれるような〝ある種の幻想〟を売り物にしている。
実際に人に会って話したり、聞いたり、体験する楽しみは、スマホでやり取りするより、温かく、優しく、何より感情的な豊かさがある。結局、回りまわってインターネットコミュニケーションが生み出す次の商品は、私たちが失いかけている〝心を主人公〟にした商品になるのかもしれない。