目次
はじめに
『1日1万歩を続けなさい 医者が教える医学的に正しいウォーキング』(ダイヤモンド社)の著者、池袋大谷クリニックの大谷義夫院長は、本のタイトル通り、1日1万歩を日課としている。呼吸器専門医である大谷院長の外来には遠方からも患者が訪れ、診察時間を大幅に過ぎても対応に追われることが珍しくない。かつ、最新論文のチェック、原稿の執筆、取材対応、テレビ出演など、自由になる時間は限られている。それでも「1日1万歩」を続けるのは、良さを身を持って経験していることに加え、ウォーキングの効果を数々のエビデンスが示していることにある。「美楽」編集部が特に注目したウォーキングの効果は、睡眠に対するもの。大谷院長は「ウォーキングで睡眠の質が高まる」と話す。話を聞いた。
★ウォーキングが睡眠に対しても効果があるとは
経済開発協力機構(OECD)の調査では、日本人の睡眠時間は世界で最も短い。睡眠は脳を休める大切な時間で、睡眠が不足すると心と脳の病気につながります。睡眠時間が短いなら、睡眠の質は高めたい。私自身も睡眠時間はどうしても短くなりがちですが、質は高く保とうと努力しています。
ウォーキングが睡眠の質を高めるのは、次の2つのポイントを押さえているからです。
(1)自律神経のバランスを整える
(2)メラトニンを分泌させる
★「自律神経のバランス」から教えてください
自律神経は、血圧・心拍・呼吸のコントロール、胃腸による消化活動、発汗、肝臓、腎臓、膵臓など内臓の働きなど、さまざまな活動にかかわっています。いずれも無意識の活動になります。
自律神経は、活動時に優位になる交感神経と、リラックス時に優位になる副交感神経とで構成されています。現代社会は交感神経が優位になりがちで、それによって交感神経と副交感神経のバランスが崩れると、心身の不調が生じます。不眠もその一つです。
大阪人間科学大学の研究チームは、運動の強さと自律神経に関する調査を行っています。健康な19人に、ジムによくあるエアロバイク(自転車こぎマシン)を使って「ゆったり運動」と「やや激しい運動」をしてもらい、その後、心拍の変動を解析。交感神経と副交感神経の状態を調べました。
すると、「ゆったり運動」が副交感神経を優位にするとの結果。1回でも効果があることがわかりました。また、「ゆったり運動」で、「不安・緊張・抑うつ」も改善したのです。言うまでもなく、不安・緊張・抑うつは、睡眠を妨げる原因になりますよね。
エアロバイクを自宅に備えている人はまれでしょうし、そうなると、ジムなどにわざわざ出かけなくてはなりません。そこで、ウォーキングです。ゆっくり歩けば、十分に「ゆったり運動」になります。深い呼吸をすれば副交感神経がより優位になりやすいので、深呼吸をしつつウォーキングをすることをお勧めします。
★メラトニンって何ですか

人間の体が作るホルモンの一つです。日中、太陽の光を浴びると体の中にセロトニンというホルモンが生成されます。これが15時間後、睡眠ホルモンメラトニンに加工されると、人は自然と眠たくなるのです。
★たくさん歩くほど、睡眠の質は高まりますか
大分大学が、平均73歳の男女860名の毎日の歩数と睡眠について分析したところ、次の結果を得られました。
・1日の歩数と「睡眠時間」は関連がない
・1日の歩数と「睡眠効率」は関連する
★睡眠効率は何を指しますか
睡眠効率は、寝床で横になっていた時間のうち、実際の睡眠時間が占める割合です。夜12時に寝床に入った瞬間に眠りに落ち、目覚ましが鳴る朝6時までぐっすり眠った時は睡眠効率100%。夜10時から朝6時までベッドにいたが、眠りについていたのは5時間ほどであれば睡眠効率63%になります。
大分大学の調査では、1日の歩数が高いほど睡眠効率が高かった。つまり、睡眠の質がよかった。さらに、1日の歩数が多い人は夜中に目覚める時間と回数が少なく、昼寝の時間が短かった。
高齢者になると、夜中に何度も目が覚めるなど睡眠の質が悪くなりがち。大分大学は、「高齢者の睡眠障害の予防にウォーキングが有効」と結論付けています。
★睡眠時無呼吸症候群です。ウォーキングがいい効果をもたらしますか
「ガーッ、ガーッ、ガッ(呼吸が止まる)……」といったいびきが特徴的な睡眠時無呼吸症候群。睡眠中に呼吸が止まる病気ですね。肥満、顎が小さい、舌が大きい、鼻中隔弯曲症や扁桃肥大などが原因で起こります。睡眠の質が悪くなる、長く寝ても昼間眠気が強くてパフォーマンスが下がるなどのほか、高血圧や動脈硬化を起こしやすく、心筋梗塞や脳卒中のリスクも高くなります。中等症から重症で治療せずにいた人は、8年後に37%が死亡したとする報告もあります。
この睡眠時無呼吸症候群、前述のように肥満が関係している。ウォーキングは、継続しやすいダイエットとして有効ですから、肥満がある人は、ぜひ日々の習慣に取り入れていただきたい。私は患者さんにも勧めていて、ある方は、ウォーキングで20キロのダイエットに成功。睡眠時無呼吸症候群も克服しました。
★ダイエットのためには、ウォーキングよりジョギングや筋トレの方がいいような気もします。
アメリカアリゾナ州立大学の研究グループの調査で、「激しい運動は、体にいいとは限らない」という結果が出ています。激しい筋トレやランニングで疲労が蓄積すると「免疫力が下がり、感染症リスクが上がる」という報告も、別の研究チームが発表。そもそもこれまで運動経験がない人がいきなりジョギングをしたら、けがやひざ痛、足底筋膜炎になるリスクがあります。それ以前に、「しんどくて継続できない」となってしまうのではないでしょうか。
一方でウォーキングは、運動経験がない人がやっても、特筆すべきデメリットはありません。ひざ痛を心配する人もいるでしょう。しかし、ウォーキングと変形性膝関節症の因果関係は認められない、との調査結果が出ています。筋トレやジョギングと比較しても、体力や運動能力が必要とされません。ウォーキングは有酸素運動に該当し、筋トレより先に内臓脂肪を落とします。
なお、肥満と高血糖は密接な関係にありますが、ニュージーランドのオタゴ大学が、こんな研究結果を発表しています。糖尿病や高血圧ではない18歳から40歳までを対象に研究を行ったところ、30分ごとに100秒、こまめにウォーキングするグループが最も血糖値が下がったというもの。100秒というと1分ちょっとですから、甘いモノをつい食べてしまったときに、覚えておくといいですよ。
★睡眠の質を上げるという意味でも、どういった歩き方をすればいいのでしょうか。
1日1万歩をぜひ目指してください。アメリカ国立がん研究所の研究グループが40歳以上の男女5000人について「1日の歩数と死亡率の関係」を調べたところ、1日4000歩の人に比べ、1日2000歩の人の死亡率が高くなっていた。さらに、1日4000歩より8000歩、8000歩より1万2000歩の人の死亡率が低かった。ピークは1万5000歩で、1万歩と1万5000歩の死亡率はそれほど大きく変わらなかった。そこで私は1万歩を推奨し、自分自身も実践しています。
ただし、一気に歩く必要はありません。朝3000歩、昼3000歩、夜4000歩でトータル1万歩……という形でも構いません。歩く時間は、夜より朝がお勧め。太陽の光を浴びると体内時計がリセットされ、セロトニンの分泌が高まります。セロトニンは夜はメラトニンに変わり、熟睡に導いてくれるホルモンです。幸せホルモンとも呼ばれ、ストレス解消にも役立ちます。
バナナと納豆の朝食を食べてから歩くとよりいいですよ。大豆に含まれるトリプトファン、バナナに多く含まれるビタミンB6が、セロトニン合成に関係するからです。高知大学の研究で、1カ月間、納豆とバナナの朝食をとり食後に30分間太陽光を浴びたグループは、「寝起きすっきり、早寝早起きになった」との結果が出ています。
★多忙を極める大谷先生がウォーキングを続けているのはなぜですか。
私はもともとはスポーツジムに通い、水泳や暗闇の中で行うボクシングを楽しんでいました。ウォーキングを始めたのは、2021年9月。コロナ禍でスポーツジムが休館に。さらに、患者さんが殺到して一日中仕事に追われるようになり、診察室にこもりっきりで体重が増えたのです。消去法で始めたのが、ウォーキングでした。
ところが1カ月で体重が落ち、気持ちがすっきりし、ウォーキング中には仕事につながるアイデアが浮かぶなど、いいことづくめ。論文マニアであることもあり、科学論文を読み漁ると、ランセットのような権威ある学術誌にまでウォーキングに関するエビデンスが多数紹介されていました。それこそ、がん予防、高血圧や糖尿病の改善、心筋梗塞や脳卒中の予防、うつのリスク低下、前述した睡眠の質向上……。
創造性を豊かにする作用もあり、アップルの共同創業者である故スティーブ・ジョブス氏やFacebook、メタ創業者のマーク・ザッカーバーグ氏もウォーキング会議を開いていたという。これは、ウォーキングをやらないという選択肢はないと思ったのです。
私にとって、継続させるための工夫があります。まず、平日はスクラブ(診療着)でも革靴でもいいので、隙間時間があれば歩く。次に、食べたら、歩く。こだわりすぎず、「いつでもどこでも」を念頭に置くことが、継続の秘訣です。